水産物の販売

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 明治二十年三月水産税則が定められ税は金納となったが、これ以前は水産税が定められており、水産物の現物を納入しないうちは自由に販売することが許されていなかった。このため村民は税納入後、商機を失わないように函館の海産高と連絡をとり、函館から仲買船が入港し、ここで水産物の売買が行われることが多かった。
 またこの当時は道路状況が頗ぶる悪く、貨物の陸送がほとんど出来ないため、大漁をした時は安く買いたたかれ、不漁や時化(しけ)が続くと入航船が少なくなり、食料品や日用雑貨品さえも欠乏することがあったと云われている。