小学校創立の背景

889 ~ 889 / 1354ページ
 明治五年八月二日「人々みずから其身を立て其産を治め……必ず邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す。」という「被仰出書」が太政官より公布され、以後学事の奨励が強く叫ばれるようになった。これを受けた開拓使は、全道各地に学校を設立するように強く働きかけるようになり、函館支庁に於ても教則を公布し管轄下の町村に対して学校設立を求めるようになっていった。このような情勢の中で、明治十一年一月村落小学校教則が公布され更に、明治十三年一月には小学教則と変則小学教則が公布され(この時、村落小学教則は廃止)村々では学校を開設しなければの気運が急速に高まることになった。かくて明治十一年から明治十三年にかけて函館支庁管内の村々に小学校がつぎつぎと開校されるようになっていったのである。