明治十一年一月函館支庁により「村落小学教則」が公布され、これによって村落の小学校は上等・下等の二段階に分けられ、更に各々は低位より上位に、五級より一級までの段階に分けられ、各級は六ヵ月で修了し、全課程は三十ヵ月で修了するように定められた。(この時の学校は小学校とはいわず、単に学校と称されていた。)
明治十三年一月函館支庁は「変則小学教則」を公布し、さきに公布した「村落小学教則」を廃止した。この「変則小学教則」の実施により、満六歳以上の児童を学校へ入学させることになり、八級より一級までの八段階を(一級につき各六ヵ月の修了)四十八ヵ月で修了するものと定められた。