役場所蔵の『地方問題綴・請願陳情書』は当時の小学校の様子を次のように記している。
災害後の應急處置
一 青空教室
校舎は焼失されても學童の教育は一日も忽せにすべきに非ずと昭和二十年八月十五日當校校長を拝命しました小職は機銃弾に腰部を打ち抜かれて生死を危まれた前谷内村長・村有志と相はかり、晴天は戸外で曇雨天の時は焼け残されました体操場で、二部教授による教育事業を開始致しましたが實際面に於ては仲々不便不自由で實績は挙がりませんでした。かうしてともかく翌年の三月まで継続致しました。
二 假教室
柔魚(イカ)を主業とする當漁村には、漁場としての番屋もなく餘裕のある建物もなく、環境の悪い事も、無設備の悪條件も度外視し、不便不自由を忍んで役場・青年會館・軍兵舎・劇場を教室に充用して屋舎(おくしゃ)に於いて二部教授を継續致しましたが、教へる教師に教具なく、みかん箱空箱を机とする児童の學習では、能率はあがらず、児童の分散教授では訓育は徹底せず、實力培養などは不可能で形ばかりの學校経営で力の足りぬことをまことに自責せしめられましたがかくして新校舎の出來るのを待ちました。
三 新校舎建築と村財政
暖房設備もない假校舎・教室での學童と職員の真摯なる姿に打たれる村民も敗戦後の虚脱状態から漸く立ち上がり校舎建築も谷内村長の全快とともに強烈に盛り上りましたが、生産能力の少ない漁村の財政と食糧難に喘へぐ村民の経費負担は仲々容易の業でなく支廳當局ならびに上級官廳各方面の絶大なる御後援と御協力を得て資金面・資材面に甚大なる難関に遭遇しながらも昨年十一月下旬体操場の復舊工事と五教室の新築工事が竣功され焦土灰塵の中に村の學校の姿が再現されまして教育實務者としてまことに欣快にたえぬ所であります。
四 校舎の不備不足
資金難と資材難で五教室は新築されたものの硝子不足を補ふ事が出來ず廊下体操場には硝子なき窓枠を取付けたままで越冬し屋根柾は風にあふられて雨漏り甚だしく補強を要する箇所多く六百二十有名の生徒児童を擁しての五教室では、小中學校の學級編成に無理を生じ、二部教授は勿論三部教授をも實現されねばならぬ苦境となり教育上大支障を來たし生徒児童の實力は低下するのみで拾取の途なく當惑致して居ります。
尚且つ教職員の職場たる事務室(職員室)は屋内体操場の一隅に板圍ひで急造され、児童在校中は殆執務不可能にして騒擾の為神経衰弱の教職員の輩出せんとする憂なきにしもあらずやとの懸念多分に見受けられます。
小學校に於て二部教授の廃止のためには更に多くの教室の増築を必要とする理でありますが現下の経済状況と村民の負担力及び資材方面より勘案して無暴な事は計画致されませんが小中学校をして完全に二部教授を實施出來る教室数は是非増築し學校教育運営の最善を期したい念願であります。
五 目下必要とする増築計画
戦災後の學力補充と實力培養の教育のため、
小學校に於て四教室中學校三教室、職員室一室の増築を實現したい希望であります。
以上申し上げましたように新學制實施下の児童の教養を高め職員が専心業務に精励し相ともに國家への重責を果たすためには、此の際少くとも七教室の増築と職員室の新設が實現されねば二部教授すら完全に遂行は期し難い情況に在ります。
都會より遠く距りたる交通不便の僻村、生産能力僅少にして財政的にも貧弱なる小漁村において一村一校の教育設備の為とは言へ五百戸足らずの村民の負担に依る戦災校の復興事業は殆不可能にして現状維持より他に方策ない現況でありますが、教育の機會均等の叫ばるゝ現在、二部に分ちての教育すら其の所を得ざる有様では再建日本の教育に萬全を期し難く此の災害を蒙りたる村民も不自由なる學習をつゞけ、生徒児童も新日本建設を目ざす皇國民にして教育の場所を與えられんことを念願する小職の微意も、御賢察の上、新憲法下公選の榮誉を担はれたる現松坂村長の校舎増築の計画に御高配を賜はりたく玆に陳情申し上げる次第であります。