民生委員制度の発足

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 戦後の混乱する社会の中で、特に生活困窮者に対する対策が重要視されるようになり、昭和二十年十二月十五日「生活困窮者緊急生活援護対策要綱」が閣議決定された。
 その結果を次に示す。
一 失業者
二 戦災者
三 海外引揚者
四 在外者留守家族
五 傷痍軍人および家族ならびに軍人の遺族、などの人々が著しく生活に困窮せるものと認められることになった。
 その後、昭和二十一年十月一日から「生活保護法」が施行され保護の対象が国民のすべてに拡大されることになり、「新北海道史第六巻」によれば、この時次に示す四つの原則が確立されたと記されている。
 
  一 無差別平等の原則
    困窮者を平等に取り扱い、たとえ軍人、その家族にたいしても優先的な処置をおこなわない。
  二 国家責任による生活保障の原則
    国民の最低生活の保障は国家の責任であり国民の権利である。
  三 公私分離の原則
    民間社会事業団体へ国家財政の支出を禁じ、国家の責任転嫁や特定の社会事業団体への優先的取扱いを禁ず。
  四 支給金無制限の原則
    予算に限度をおかず、必要に即応させつつ国民の最低生活を保障する。
 
 また終戦当時の生活困窮者に対する救済活動は方面委員の手を煩わすものであったが、昭和二十一年十二月から、すべての方面委員は民生委員と改称され(民生委員制度の発足)市町村長の福祉行政の補助機関となり、国民のすべてに福祉の対象が拡大されることになった。
 発足当時の民生委員の仕事は、生活保護法対象者の発見、調査、保護内容の判定、生活指導などで、広く地域の福祉の増進に重要な役割を果たしていた。
 その後、日本国憲法の制定に続き、昭和二十二年十二月、児童福祉法が制定され、この法令により民生委員は児童委員も兼務することになりますます民生委員の仕事は重要なものになった。
 更に昭和二十三年七月「民生委員法」が制定され、民生委員の選出について、選出の民主化、資格条件、指導訓練等について定められた。
 このころの民生委員の仕事内容は、以前よりも拡大され、生活保護法を補助するための機関として活動する他、引揚者の援護、留守家族などの相談援護、各種の証明、幕金などの活動を行うようになっていた。