戦後の社会保障

1001 ~ 1002 / 1354ページ
 戦前からあった国民健康保険は、戦後の物価上昇やさまざまな混乱の中で、その大半が事業不振となり、それに加えて昭和二十一年三月には、軍人恩給も停止されるという有様であった。
 このような情勢は、これまで健康保険や軍人恩給をよりどころとしていた人々を窮地に立たせ、更に引揚者、戦災者、復員軍人等の多数の救済の必要とする人々に対して対応策が無かったことから一日も早く社会保険制度が実施されるように望まれるようになった。さきの軍人恩給停止のとき設置された社会保険制度調査会は、昭和二十二年十月、最低生活の保障、総合的制度としての社会保障制度要綱を発表した。更に昭和二十三年七月、クンデール勧告(アメリカ社会制度調査団の勧告)が出され、これを受けた政府によって、昭和二十三年十二月、社会保障制度審議会が設置され、昭和二十五年十月、この会は、社会保障制度に関する勧告を政府に提出した。
 この間、昭和二十二年、先に記した社会保険制度調査会の答申により、四月「労働者災害保険法」(十二月「失業保険法」)が制定されている。
 国民健康保険関係では、昭和二十三年、従来の組合方式から市町村公営方式の原則に変えられ、昭和二十六年、国民健康保険税の制度が設けられ資金の確保が図られたことから、以前より充実した制度になりつつあった。
 昭和二十五年、朝鮮戦争により景気の上昇がみられ、昭和二十八年には、健康保険、船員保険などの給付改善がなされている。
 その後、昭和三十四年一月から、新国民健康保険法が施行され、市町村による国民皆保険の実施が義務づけられ、療養の給付期間三年などの内容が取り入れられるようになった。
 また、昭和三十八年低所得被保険者の保険料の軽減、世帯主の七割給付の実施、昭和四十三年一月から全被保険者の七割給付が実施されることになった。