戦時下の医療行政

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 日中戦争・太平洋戦争と続く時期、国や道は健民育成を目的として医療行政にも力を入れはじめた。すなわち法律面では、
 昭和十二年三月 母子保護法制定
 昭和十五年四月 国民体力法制定
 昭和十五年五月 国民優生法制定
 昭和十六年三月 医療保健法制定
 昭和十七年二月 国民医療法制定
 等の諸法を定め、医療保護体制及び戦争遂行上どうしても必要な「健民の育成体制」を強化し確立しようとしていた。
 また昭和十三年、医療体制を充実させるため、従来、内務省管轄下におかれていた保健衛生面の仕事を担当する省として、新たに厚生省を設置しこれらの仕事を管掌させる政策がとられた。これらの諸政策の中でも昭和十七年二月に制定された国民医療法は、戦争が必要とする多数の医師を養成し、かつ無医村地区への医療機関の設置、更に医療機関の医療内容の監督強化統制をするなどの内容を含む大改革であった。
 このようにして医療・保健等の大改革が実行されたが、地域住民の生活には余り浸透せず、主に医師・看護婦・医薬品等は戦場へと駆り出されていき、地域の住民は昔ながらの漢方薬や民間の針・灸などの療法に頼らねばならなかった。
 このように掛け声だけ法律が制定されただけで、地域住民の保健衛生・環境衛生の向上につながらなかった医療制度の改革であったが、わずかに昭和十五年の国民体力法に基づいて、満十七歳以上の男子の体力状況の測定と結核予知のためのツベルクリンやレントゲン検査が、実施されるようになったことは特筆されるべきことであろう(昭和十八年以後は女子も実施する)。