昭和四十五年八月の集団赤痢発生以後、ゴミ処理設備のないことが問題となり、村役場は村営ゴミ捨場が準備できるまでの緊急対策として燃えるゴミは燃やし、燃えないゴミは埋めるように村民に呼びかけ、村民も進んでこれに協力することを惜しまなかった。
「清掃の日」
その後、昭和四十六年五月から毎月十日を「清掃の日」と定め、家屋、家の周辺、道路、下水道等を清掃、整理することになり各戸から一名が出て殺虫剤や殺菌剤の散布やゴミの焼却を実施するようになった。
更に同年八月には、ようやく村営ゴミ捨場が開設され、ゴミ収集車も運行されるようになり村内のゴミ処理問題は大きく前進することになった。