昭和初期の警察

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 第一次大戦後の経済発展と社会不安のため次第に国家及び地方行政の強化が図られつつあり、北海道の行政においてもこの傾向が見られ、警察制度もまた強化拡充が行われようとしていた。
 「新北海道史」第五巻通説四によれば、昭和二年北海道長官の下に、長官官房・内務部・学務部・警察部・拓殖部・土木部・産業部が置かれており、更に警察部の下には警務・高等警察・外事・特別高等・保安・刑事・衛生・工場の諸課が置かれていたと記されている。この中の工場課というのは、大正五年九月施行された工場法に規定された労働条件の施行状況を指導監督する課である。またこの他に異色のものとして健康保険課がある。この課は、大正十一年四月制定された「健康保険法」に基づき、内務省管轄下の道内四健康保険署が取り扱っていた業務を、昭和四年八月に至り道庁警察部に移管されたものである。しかし何といってもこの時代の警察の特色としては、特別高等課が設けられており、強力な権力を有することである。「新北海道史」第五巻通説四は高等警察課について次のように記している。
 
   「北海道の高等警察課はもともと明治二十四年設置された警部長直属の高等主任に由来し、同二十八年昇格設置をみたものである。その任務ないし性格は、言論・集会・結社・大衆運動などの取締りをおこなう、いわゆる治安警察・政治警察ないし国事警察等をくるめた高等警察であり、一般の司法・行政警察とは性格をことにし、活動も私服で隠密裏におこなうため資料はほとんど残されていないといわれる。特別高等課は社会運動の高揚に対処すべく特別に設けられたもので、警察庁(明治四四年)と大阪府(大正元年)を皮切りにしだいに普及し、北海道も早いほうではあったが、全国的には昭和三年七月に大拡充された。
 
 すなわち大正時代から警察組織は徐々に充実拡大され昭和初期に至って遂に犯罪者を追う警察よりも、国民生活の日常的な監督を行う警察へと重点が転換されていったのである。