次に〓日記の中から警防団に関係すると思われる記事を抜き出して参考にする。
昭和十八年
八月 十九日 晩ヨリ防空水演習
二十日 仝
八月二十五日 空襲演習行フ
二十六日 仝
八月 三十日 元村沖ニ於テ午後一時半六千屯位ノ商船一隻米潜水艦ニ攻撃サレ即時沈没ス乗組員不明ナルモ他ノ人員救助サル
三十一日 米潜水艦三隻出現ス二隻ハ即時飛行機ヨリ爆撃サレ沈没
九月二十二日 本日ヨリ防空演習行ハル
十月二十七日 沿岸警備演習サル
二十八日 沿岸警備演習オワル
昨二八日実弾射撃ニ付全村沖止サル
三十日 本日実弾射撃午後一時半灯台ノ方六発、午後六時灯台地及ビ〓ノ前ノ空地ニ於テ執行ス午後六時拾三発灯台方、〓前九発
昭和十九年
二月二十九日 本村(ママ)新一沖合ニ於テ機雷一ケ発見役場ニ届ケタト本人ノ言(字浜町木村新一のまちがいと思われる)
四月 二十日 昨日前沖飛行機何拾台ト通過シ、恵山沖行来シ、機雷爆発四度、本日一回爆発アツタ
五月 八日 本日午前九時三十分室蘭ヨリ函館ヘ航行中ノ五千トン級商船前沖五海里位沖ニ於テ敵潜水艦ノ猛雷ヲ受ケ轟沈シタ
魚雷二本命中ス、撃沈サレタ商船宮崎丸三千九百頓ナリト乗組員七拾名ノ内二十名救助サルモ多少軍人同乗シ居レリト、魚雷二本浜中ニ発走シ陸揚シタリト
五月 十一日 本村ニ於テ飛行機一台敵潜水艦爆弾投下自爆セリト云フ
六月 一日 本日古部沖合ニ於テ実弾射撃二拾発発砲スタリ内一発大爆発
六月 八日 大砲ノ音ヲ聞ク山手ニテ
十二月 三日 恵山沖ニ潜水艦見エ村一般ノ沖止メ
昭和二十年
四月 十四日 敵潜水艦前沖ニ見エ大砲五度敵魚雷ニ恵山崎ニ爆発火薬倉前、敵潜水艦三隻前沖ニ現ル
八月 十五日 朝拾時頃村民國民学校ニ集合セヨトノ命ヲ受ケ即時学校ニ集合スルヲ得(ママ)部隊長ヨリ演説ニ曰(イワ)ク天皇陛下涙ヲ呑ンデ、戦争ヲヤメダノ語ルヲ聞キ、村民一同驚キタリ
(〓日記には昭和二十年七月十五日の小学校・役場・燈台の戦災について、当人旅行中につき、残念ながら記されていない。)