明治十七年『亀田郡役所伺届録』(北海道蔵)によれば、玄徳丸の難破について次のように記されている。
坤第百四十号
難破舩䖏分之義上申
昨二月七日亀田郡椴法花村字銚子岬ニ於テ函館区富岡町五番地八田代太郎所有船日本形玄徳丸(六拾石積)壱艘難破候旨別紙之通リ浦役人ヨリ上申相成ニ付取調之上成規ニ據リ該費用三分ノ一即チ金六拾銭五厘民費賦課之分当役所ニ於テ操替支給致候条此段上申仕候也。
明治十七年四月廿六日
亀田上磯郡長 片岡 新
函館県令時任其基代理
函館県少書記官堀金峯殿