昭和期

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 恵山漁場の鱈釣り漁業は、昭和に入って発動機船にかわるまで、持符船に三人乗り組みの小規模な経営がながく続いた。
 漁船は持ち船も多かったが、賃貸の借船で経営するものもかなりあったという。延繩一枚の価五〇銭か八〇銭ぐらいで釣り針はほとんど漁家の手作り作業でこしらえたものだった。餌魚は一五円乃至二〇円で足りたので、比較的少額の資本で経営することができた。