[漁業法成立へのあゆみ]

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 明治二〇年代から新しい漁業法の制定が試みられ、明治二六年以来、四回の漁業法案が議会に提出されたが、その都度、成立には複雑な事情が介在して成立をみることができなかった。
 明治三四年、第一五議会で漁業法の成立をみた。この漁業法は翌三五年七月一日から施行された。
 漁業法の第一八条から第二〇条までに「漁業組合」について規定している。
 「浜浦漁村、其他漁業者ノ部落ノ区域」を地区として行政官庁の認可を得て漁業組合を成立するものとし、漁業権の享有および、その行使を目的とする。
 第二〇条に、「漁業組合ニ於テ、其ノ地先水面専用ノ免許ヲ受ケタルトキハ、組合規約ノ定ムルトコロニ依リ、組合員ヲシテ漁業ヲ為サシムベシ」として、漁業組合が専用漁業権享有の主体であることの先鞭をつけたものであることで大きな意味をもつことになった。
 以後、「漁業権を取得する主体」としての漁業組合が、部落ごとに濫立することになり、漁業者は自から狭い枠内の漁業区域に区画され、旧来の漁業慣習が改められることなく、かえって固定化することともなりかねなかった。また、漁業組合は経費の負担が増嵩して、組合の維持に汲々とするものが多かったという。
 同じく漁業法第二二条「漁業者又ハ水産動植物ノ製造若ハ販売ヲ業トスル者ハ水産業ノ改良発達及水産動植物ノ養殖保護其ノ他水産業ニ関シ共同ノ利益ヲ図ル為、水産組合ヲ設クルコトヲ得」の規定によって、水産組合が発足をみた。
 しかし、水産組合は、経済事業を行わない団体であったので、その活動は自ら限られたものであった。