新たな畑づくり

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昭和に入ると、家々に電灯が点き、自動車道路も開削されて新しい時代を迎えることになった。漁村に希望が近づいた矢先、昭和四年六月、駒ヶ岳大噴火。野も山も海辺も、海面さえも降灰と軽石で埋め尽くされたという。春、せっかく種蒔きして芽が出た畑が、一夜にして二〇センチメートルから五〇センチメートルほど深く埋没してしまった。村人たちは、白い荒野と化した畑に茫然と立ちつくした。やがて気をとり直して、火山灰(軽石)を取り除く作業を幾日も続けた。この地域の畑の横や境に、軽石の小山が諸々にあるのは、このときの集積したものである。
 こうして各家々の努力で、郷土の畑は、逸早くほとんどを自力で噴火の災害から復旧し、農耕を続けた。火山灰を掘り出しただけで育ったもの、新しく種を蒔いて何とか収穫したものなど、主婦たちの農耕は多くの苦労があったという。