万畳敷の用水路

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万畳敷には水がなくて住民達は随分不自由した。泣面山のふもとに小さな川が一本あるだけで、その付近の人はよかったが、他の家では、二粁も三粁も二斗樽を背負って一日に二、三回水汲みをした。
 それで、横津岳のふもとの水を開拓地に引いて貰いたいと、道庁に陳情に行き、ようやく大正九年ごろ水が引かれた。
 ナラ板、幅二〇センチのものを四角に組み合せて箱形にし、継ぎ目を板でかこみ釘を打ち、つぎ足し、土を掘って一米ほどの深さに埋設した。
 夏は冷水に保ち、冬は凍結しないようにした。土地の高低を見計らい、地域の中央部分に水を引いた。用水路が完成したとき、住民は心の底から喜び合った。

万畳敷の土地区画割と入植者氏名/大正9年当時 旭川 田代久三記録