本港は北緯四十一度五十六分東經百四十度五十七分に位し内浦湾に臨み西南は山嶽を以て圍まれ辨天島は市街の東端より北方に突出し幅約四百尺延長約千八百尺に達し干潮時に於ては岩礁露出し徒歩自在にして克く東南の風浪を防止し天然の良湾形をなす、然れども一朝北東北西の強風に際しては襲来する怒濤の為避難すべき場所なく之れが為幾多の惨禍を惹起したる事例乏しからず、漁業を以て唯一の産業となす本村の消長に及ぼす影響の甚大なるものあるに鑑み之を修築し安全なる避難港たらしめんとし大正元年六月北海道庁の調査を受く抑々本船入澗の発端なりとす
昭和四年補助工事許可せられ起債の許可禀請取運中偶々同年六月駒ヶ嶽爆発の災害に遭遇し本村産業に一大打撃を蒙り之が復舊事業急施の為已むなく船入澗築設を延期せさるへからさる事情となりたり、然れとも國家地方の緊急助成對策と村民の燃ゆるが如き甦生の力と相俟って善後對策着々効を奏し沿岸漁業より漸次沖合漁業に進出し發動機付漁船年次増加し船入澗築設を必要とし昭和七年總工費十六萬圓に對し國庫より八割の補助(總額十二萬八千圓)を得工事を實施するに決し越て昭和八年三月末日起債の許可を受け函館市瀬崎初三郎之を請負同年十月十一日一切の準備を了し起工の式を挙く其後補助額減額せられたるを以て従て工事總額を十五萬二千四百四十圓に減額設計変更の止むなきに至り工事豫算に於ても亦幾部の変更を来し結局
一金十五萬二千四百四十圓 總高
(表)
を以て施工之が財源は
十一萬九千二百三十二圓四十八銭 國庫補助
(一五、〇〇〇円)
昭和八年度一、五〇〇圓 昭和九年度三九、九一九圓二七銭
昭和十年度一四、六六四圓九一銭 昭和十一年度四九、六四八圓三〇銭
九萬七千圓 起債
七七、〇〇〇圓 短期債(昭和十一年度限)二〇、〇〇〇圓 長期債(十五ヶ年賦)
一萬圓 基本財産支消
一千六百七十六圓 船入澗費積立金支消
に需め昭和十年四月三十日工事全く竣工を遂け玆に多年の宿望を達成し併て本村産業界の前途をして益々多幸ならしめたるなり
而かして上述せる本村船入澗は別紙圖示の如く字中の島より港心に向ひたる防波堤により東方の波浪を防遏し尚沿岸漂砂に備ふる為の防砂堤により北西方の波浪を防制し完全なる澗内の静謐を圍り一方防波堤の基点より下る約六十米の地点より海岸に沿ひ又東側背面AB二箇所の護岸を築造し其間干潮面上二米七の高さに埋立漁獲物其他の處理場に供し船入澗背面施設の完壁を期したり
今左に船入澗各部の詳細を記述すれば
防波堤 一六〇米
防砂堤 一七六米
護岸 二三〇米
仝(A部) 一一八米
仝(B部) 一六〇米
埋立面積 一一、六七〇平方米
被覆面積 三四、五〇〇平方米
船入澗附屬地 一〇、九八〇坪