駒ヶ岳爆発(古部小学校沿革誌) 六月一七日、先日来時々遠雷聞ユ。晴天。
放課後、掃除當番中、天カスカニ曇ル。午後一時二十分頃、雷鳴リ雷光閃ク。児童掃除當番ヲ終ヘ當ニ帰宅セントスル時、豆粒位ノ焼石(軽石)、恰モ夕立ノ最初ニ来ルト同ジク、ポチポチト降リ来ル。児童ヤ裁縫ノ生徒等ハ、前掛又ハ手ニ捨ヒ集メテ楽シミシガ、次第ニ強クナルニツレ児童ハ家ニ帰リ、生徒ハ住宅ニ入ル。雷電益々激シク、小ハ小豆粒大、大ハ経一寸、厚サ七、八分位ノ軽石、生砂、灰ノ降下、度ヲ増シ午後三時四十分ニ積降二寸位。午後四時三十分頃天地全ク晦冥トナリ、室内ニテハ洋燈(ランプ)ヲ燃シニアラザレバ、物ヲヨク見ルコト能ハザルニ至ル。雷鳴ハ三ケ所ニ鳴リ(ル)。北・北西・東、駒ヶ岳ハ北西ニアリ。電光空ニ閃キ、恰モ花火ノ如シ。五時ニ至リ益々暗黒化シテ物スゴキ事言ハン方ナク、降灰類ノ降下益々甚シク、大夕立ニサモ似タリ。時々北西ニ當リテ天空赤クコゲ、噴火ノ悲惨ト偉大ナル造物主ノ力ヲ思ハシム。
校下ニ半鐘鳴リ響キ、消防、青年團等防備ニツキタルガ如シ。海嘯ノ恐レアリト前野玉蔵、對馬吉五郎ノ家族(女ノミ)學校ヘ避難シ来ル。夜ニ入レバ雷電益々怒リ、海ハ鳴リ天地如何ニナルラント思ハル。神社又ハ立(高)臺ノ家ヘ避難セルモノアリ。而シテ學校ハ安全地帯ナリトハイヘ、惶レ多クモ御影・勅語・詔書ヲ奉安シ奉ルニ消防及青年團ハ一回ノ巡視ナキ遺憾至極ニテ、彼等ノ心情ヲ疑ハル。學校長ハ萬一ノ時ハ、御影及勅語・詔書ヲ奉ジ重要書類ヲ提帯シ、避難スベキ準備ヲナシツ、夜ヲ徹セリ。
六月一八日
午前〇時半頃ヨリ雷電遠ク去リ、月光薄ク見ユ。午前四時降下ノ灰砂礫ノ深サヲ検スルニ五寸余。畠及海草ノ類ノ被害甚大ナラン。
古部稲荷神社台帳に「駒ヶ嶽爆発、当村降灰六寸」と記している。