臼尻空襲

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前日一四日、航行中の船舶が臼尻船入澗に避難していたため攻撃をうけ、附近の油脂類が炎上したり、校舎のガラスの一部が破損した。
 一五日には、艦載機が延一〇機来襲、船舶、家屋、山野の区別なく人影を追撃して機銃掃射をうけた。
 避難して入港した船舶の負傷者一一名は、覚王寺に収容され中本医師、松井医師の手当をうけたが、うち三人(未確認)が死亡した。
 この日、臼尻の松山漁業部所属の俊丸は、函館から漁業資材等を回航中、銭亀沢の沖合でグラマンの襲撃をうけ、乗組員福士吉三郎(大正八生)と平沢梅蔵(大正一二生)が死亡、西田幸三郎(昭和三生)は重傷をうけた。
 (⑬)天谷鉄工場に爆弾が直撃して全壊したが家族は無事だった。隣家〓(⑭)東出家、〓(⑮)山田家全壊。奧寺家、〓吉崎家が破損した。〓東出家の女性一人が負傷した。
 弁天島の(⑯)岡田の番屋が全焼した。