昭和三〇年代に磨光小学校での事例である。
低学年の(集団(グループ))知能テストで「大人の立っている人の絵を描きなさい」というテストがあった。
このとき、こども達が描いたほとんどの絵が「立っている人の姿と大きな家の絵」だった。この村の方言では「家」を「エ」といいきる。「オラエ」(私の家)、相手の家のことを「ナエ」(汝の家)または「オメダ」(お前の家)。
「オトナノ・タッテイルヒトノ・エヲカキナサイ」という設問に、こども達は―「家(エ)」を描きなさいと聞いたのである。
教師は、このテストのとりくみに、テストの設問にあたって「余分な説明を加えずに正しく伝えること」ということに忠実なあまり、こども達の方言の世界を知っていながら、共通語で設問をしたので、ことばのちがいが、うっかりテストを誘ったのである。
この知能テストは採点不能となり、集団テストとしては見事失敗した。翌年のテストには「大人の立ってる人を描きなさい」といういい方にして、このことは当時の学習部の知能テスト実施のときの注意事項として引き継がれた。
言語教育の中で、もっとも大事なことは、言葉づかいや発音よりも、そして語彙表現の豊富さよりも、言い方が大事である。話す人の心づかいである。どんな美しい発音や豊富な表現でも相手を傷つけたら、それはわるい言葉となり、いけない話し方となる。
どんなにつたないいい方でも、相手を尊重し、あたたかい話し方であれば相手に真意が伝わるものである。そして方言でなければできない独特の情緒をつたえることができる。