解題・説明
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近藤重蔵は明和8年(1771)江戸駒込の生まれで、名を守重、また正斎と号した。寛政10年(1798)から文化4年(1807)までの間に、五度蝦夷地へ渡航する。翌5年には書物奉行に任ぜられ、江戸幕府の紅葉山文庫の管理にあたる。文政9年(1826)長男の殺傷事件に連座して改易、滋賀大溝藩のお預けとなり、同12年彼の地にて病没。本肖像画には第13代滋賀県知事鈴木定直による賛があり、また軸裏には明治38年(1905)滋賀県高島郡大構町の土井亀太郎によって印刷発行された旨の貼紙がある。この年は日露戦争の勝利なかで『近藤正斎全集』の刊行など重蔵顕彰の機運が高まった年である。近藤重蔵の肖像は、東京都北区正受院に蝦夷地探検時に着用していた甲冑姿の石像が伝わるが、本像は大溝幽閉中の姿を伝えたものと思われる。なお軸には「近藤重蔵肖像 贈位奉告祭出版」の墨書がある。しかしながら重蔵が贈位されるのは明治44年(1911)のことである。
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