目次
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第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
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第一節 松平氏のおこり
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松平氏の発展
桶狭間の戦の意義
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浜松の発展にもっともふかい関係を持つ徳川家康が、ながい忍苦の生活に耐えて、はじめて自立の機会を得たのは、永禄三年(一五六〇)五月十九日、今川義元が桶狭間で織田信長の奇襲をうけて戦死したからである。
このとき家康は(元康と称していた)義元の命をうけて大高城(名古屋市緑区、史跡大高城址)を守っていたが、二十日三河大樹寺に入り、岡崎城中の今川勢の退散を待って二十三日これを恢復することができた。