家康の誕生

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 天文十年十六歳の広忠は刈屋城主水野忠政の娘於大(おだい)(のちの伝通院)をめとった。そして翌年十二月嫡子竹千代が誕生した。これがのちの家康である。しかし忠政が死ぬと、あとをついだ信元は織田信秀に味方したため、広忠は水野氏と絶縁し、於大を送りかえし、戸田康光の女を妻にむかえた。