松平家一族の内紛はなかなかおさまらず、この機をとらえて織田信秀の圧力は加わるばかりである。広忠がこの逆境をきりぬける方法は今川氏の援助によるしかない。義元は人質として六歳の竹千代を出すように要求した。しかし竹千代は駿河府中(静岡市)へむかう途中、田原(愛知県渥美郡)の戸田康光に奪われ、船で尾張熱田の信秀のもとに送られた。天文十八年三月、広忠は敵の刺客のために暗殺される。
今川義元は、竹千代の成人まで松平家の宗主権を代行することを宣言し、部将に安祥城を攻めさせ、信秀の子信広をとらえ、これと竹千代とを交換した。こうして竹千代は駿河府中に向かう。