信長と同盟を結ぶ

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 元康は岡崎に帰ってからも、周辺の織田方と戦いながら、一方では今川氏真(うじざね)に対し弔合戦をすすめていたが、氏真はききいれなかったという。ここで今川氏と断交して織田氏と講和する動きがでてきた。だが今川氏に人質をだしている諸将は、信長との講和に反対した。元康の妻関口氏・三歳の嫡子信康・二歳の長女亀姫も駿河府中に残っている。
 元康は信長の申し入れをうけて、今川氏をはなれ、信長と同盟をむすんだ。永禄四年(一五六一)二月のことである。これは数十年つづいてきた松平氏の外交政策に百八十度の転換をしたことであり、これによって信長の西上策を背後から援助するとともに、じぶんは東進策を遂行することにしたのである。