目次
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第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
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第二節 松平元康の岡崎復帰
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家康の自立
家康の東進策
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信長との講和ができると、吉田城(豊橋市)など今川氏の支城に収容されていた人質は殺されてしまう。元康は矛(ほこ)を逆にして、今川氏に味方する三河の諸将に攻撃をかけ出した。【西三河】それは四月八日からはじまり(『鈴木文書』)、ほぼ西三河を平定した永禄五年正月、清須(西春日井郡清洲町)におもむき信長と会見した。ついで二月、宝飯郡上郷城(蒲郡市)に今川方の鵜殿長持を攻め殺し、その二子を捕え、関口氏母子との交換に成功した。