目次
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第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
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第二節 松平元康の岡崎復帰
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遠江国の情勢
湖西の守備
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【佐久城 日比沢城】三遠国境南部の今川氏の守備線は、引佐(いなさ)郡で佐久城に浜名頼広(引馬城主飯尾連竜の叔父、妻は懸川城主朝比奈泰能の女)、日比沢城に後藤直正、本坂に後藤実久が配置されている(その城址がある)。湖西の地は宇津山城だけである。【境目城】しかし東部国境から武田信玄、西部国境から徳川家康の脅威が急速にたかまってきた永禄十年、今川氏真は、益田信濃守らに命令して境目城を構築する地を選定させた。そして妙立寺を接収することにし、七月三日に士卒を駐留させ、同月十七日には寺領を与えるなどして寺を接収する。妙立寺は慶長十九年(一六一四)になって本堂の再建ができたという。この境目城は宇津山落城の前に陥落した(彦坂良平「境目城」『湖西の文化』第三号)。
飯尾連竜判物(浜松市向宿町 寿量院蔵)
今川氏真判物(浜松市頭陀寺町 頭陀寺旧蔵)
飯尾連竜墓(浜松市成子町 東漸寺)
徳川家康起請文(江馬文書)