【普済寺】天正十年八月、普済寺(当市広沢)の客殿を再興した棟札に「藤原家康」とあるのが(後述。「藤原」の二字は削りとった)もっとも早い。【樹福院】つぎは天正十一年十二月七日遠江浜松荘樹福院(当市倉松町、現寿福寺)観音領に棟別等の免除を承認した判物である。それには「権中将□□家康(花押)」とある。割合に新しく「藤原」の二字を削った痕跡が認められる(内田旭「新発見の古文書藤原家康判物」『遠江郷土研究会誌』第一号)。
【鴨江寺】つぎは天正十四年九月七日遠江鴨江寺(当市鴨江)に対し諸役を免除した判物で(『鴨江寺文書』)「三位中将藤原家康(花押)」とある。【大通院 竜潭寺】つぎも同じく天正十四年九月七日付で遠江大通院(当市新橋町『大通院文書』本書は焼失、東大史料編纂所に影写がある)と同竜潭寺(引佐郡引佐町井伊谷『竜潭寺文書』)宛の条規で「三位中将藤原家康」とあるが、後者は写しである。以上の文書は家康が氏姓冒称の実例として有名である(中村孝也『徳川家康文書の研究』上)。
徳川家康普済寺客殿再興棟札 部分 (浜松市広沢 普済寺蔵)
徳川家康判物(浜松市倉松町 寿福寺蔵)
徳川家康判物(浜松市鴨江 鴨江寺蔵)