永禄十年(一五六七)二月、上杉輝虎(謙信)は関東に出陣して活躍する。家康は五月に使者をやり、物を贈っている。十月武田信玄は、長子義信を殺し、夫人を実家の今川氏に帰した。武田・今川の平和は破れた。織田信長は、十一月に嫡子奇妙(信忠)と信玄の女との婚約をむすぶ。
【武田信玄】信長は、家康ならびに信玄と握手し、美濃(岐阜県)・近江(滋賀県)・伊勢(三重県)の豪族と争う。【今川氏真 上杉輝虎】家康は、信長と和して氏真と争い、はるかに輝虎とむすぶ。【北条氏康】氏真は北条氏康と握手はしているが、家康と新たに信玄を敵とし、はるかに輝虎と気脈をつうじている。信玄は、氏康・信長と和し、北は輝虎、南は氏真と争っている。氏康は信玄・氏真とむすび、輝虎と関東で争う。輝虎は家康・氏真と握手し、信玄・氏康を敵としている。こうした戦国大名の均衡は、尾張と駿河を中心として破られる。