家康の進路

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 家康は岡崎を出陣、牛久保(うしくぼ)をすぎ、八名(やな)郡中宇利(なかうり)(井伊谷三人衆は、ここで待った。その先達は菅沼定盈)・黄楊野(つげの)・陣座(じんざ)峠をこえ、遠江引佐郡奥山から方広寺をへて、十三日井伊谷(引佐郡引佐町)についた。ここは標高三〇〇メートルに近い山路である。【妙恩寺】その先鋒が十四日井伊谷城・刑部(おさかべ)城(引佐町)を攻略したのを聞いた家康は、井伊谷から金指(かなさし)(引佐町)をへて橋羽(はしわ)(当市天竜川町)の妙恩寺につく。軍隊は頭陀寺(ずだじ)(当市頭陀寺町)に到着した。
 酒井忠次は、本坂峠を経由して湖北の気賀(けが)に通ずる本坂路(のちの姫街道)を進んだ。そして白須賀城(しろすかじょう)(浜名郡湖西町)。宇津山城(うづやまじょう)(湖西町)の二城を攻めおとし、家康の軍に加わった。