信玄の敵対行動開始

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 信玄は家臣にあてた書状の中で「家康は、信長の意見で行動する人だ。氏真との講和も信長の意見だろう」といっている。信玄は五月二十三日付で信長の近臣に書状を出し「家康は信長の先鋒だといって出陣した。懸川落城のうえは氏真を切腹させるか、三河・尾張に送るべきだのに、北条氏政と和約したのはよくない。このうえは、家康が信玄に呈出した誓紙のとおり、北条氏と断交するよう信長から催促してほしい」と語気を強めて申しいれた。これは信長に対し不信感を表明したもので、信玄は信長・家康と正面きって争うことになる。
 十二年十一月、信玄はまた南下し、十二月六日蒲原城、のち駿河府中を占領した。

遠江経略要地図