これに対し家康の遠江経営は、永禄十二年末までにほぼその全土におよんだ。
【大沢氏 中安氏 権太氏】正月に犬居城主天野景貫(本領)・牧野源介(本領)・大村弥十郎(本知)・小笠原清有(新知)・石谷政清(新知)・朝比奈十左衛門尉(本知改替)ら、二月に松下筑後入道(本知)・都築秀綱(本知)、三月に三河の西郷清員(遠州で替地)・大村高信(新知)、四月天野景貫(新知)・奥山定友・友久・鱸源三郎(本知)・浜名郡堀江城主大沢基胤(本知)・中安安定・権太泰長(以上大沢一族)、閏五月鱸源六郎(本知)・渡辺三左衛門尉(本知)、七月天野八郎左衛門(本知)、八月秋葉寺別当光播(別当職)らが降伏し、本領の安堵をうけ、また新知を与えられている。
この大部分は遠江の国侍(くにざむらい)であり、引佐郡・浜名郡・磐田郡・周智郡・小笠郡にわたっている。家康の勢力が西から東に進行したことがわかる。今川氏の旧臣で、城主の地位をそのままみとめられたのは、久野・小笠原の両氏だけである。彼らはその軍隊をそのままひきいて、徳川氏の家臣団にくみこまれだ。それ以下の人びとは、徳川氏の部将の組下(くみした)に編入された。