目次
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第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
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第五節 浜松移城
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浜松築城
浜松築城の意図
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これよりさき、家康は遠江見付(国衙)に新城をきずきはじめたが、それを中止した。見付では敵の攻撃をうけたときに、信長方からの援助をうけるのに不便だとの信長の意見にしたがったと『当代記』に書いてある。そして元亀元年六月引馬城に移り、工事をいそがせる。家康が本城を引馬に進めたのは、遠江をその分国にしようとする意図であり、それは武田信玄との生死をかけた戦いを意味するもので、その決意を内外に示したことになる。