[武田信玄との争い]

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 家康は浜松を本城とし、遠江を領土としてかためる努力をかさねる。
 室町将軍義昭は、永禄十三年(元亀元年、一五七〇)正月、涙をのんで信長と和解し、政務のすべてを委任することになった。武田信玄はその四月に駿河国で一万疋(一疋は十文)の土地を義昭に、五千疋を側近に贈呈することを約している。それからのち両者のあいだに裏面に交渉があったろう。
 義昭を中心とし本願寺門跡の顕如光佐(けんにょこうさ)・越前の朝倉義景・近江の浅井長政らのあいだには信長打倒の共同謀議が姉川合戦ののち急速に進められた。これらの人たちの望みを一身に集めたのが信玄である。