信玄の行動開始

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 家康と輝虎とが握手したことを知った信玄は、すぐに敵対行動をとる。【高天神城】まず元亀二年正月、駿河興国寺城(駿東郡原町)・深沢城(御殿場市)を攻め北条氏を牽制して、二月田中城に進出し、大井川をわたり遠江に侵入して能満寺に砦をきずき、三月に高天神(たかてんじん)城(小笠郡城東村)を包囲した。城将小笠原長忠が防戦につとめたので、懸川・久能・犬居城を巡視して帰国した。四月信玄と勝頼父子は北三河の足助(あすけ)城(愛知県東加茂郡)を攻めて鈴木重直を降伏させ、東三河に入り野田城(新城市)の菅沼定盈(さだみつ)を逃走させた。信玄はさらに吉田城を攻めた。家康は浜松からかけつけて防戦したが敗北する。【大屋氏】しかも信玄は七月に浜名郷の郷主大屋政頼を味方につけ、十一月には海軍を編成するなど作戦準備を進めている。
 七月十六日正親町(おうぎまち)天皇は、武田信玄に対し、奈良の東大寺大仏殿再建の費用を奉加するようにすすめられた。のち家康にも綸旨(りんじ)(天皇の命令)が出た(『言継卿記』『晴豊公記』)。
 家康は八月に嫡子信康の元服を祝い、浜松城で能楽をもよおしている。