家康は、信長の援軍をなるべくはやく安全に迎えねばならない。そのためには岐阜から浜松までの通路を確保する必要がある。この通路で最大の弱点は、浜名湖を中心とする地帯である。【宇津山城】家康は十月二十七日、松平家忠にかわり松平清善を宇津山城にいれて守らせた。宇津山城は、浜名湖の西岸浜名郡湖西町入出(いりで)の湖中に突出した小台地にあり、東岸の宇布見に通ずる湖上交通の要地にあたる。連歌師宗長は、大永七年(一五二七)鵜(宇)津山城に一日滞在するが、要害ぶりを『宗長手記』に描写している。
交通路の確保