十二月二十二日信玄は、合代島のすぐ下の神増(かんぞう)のあたりで天竜川の本流を渡り、秋葉街道にでて南下して有玉(ありたま)にむかい、大菩薩(だいぼさつ)(当市有玉西町)から三方原の台地にあがり、追分に出た。【祝田坂】さらに北方の祝田(ほうだ)(引佐郡細江町)にむかい祝田の坂で休止した。この坂の降口から約四〇〇メートル南に根洗の松がある。道をへだてたすぐ東がすこし高い。このあたりが信玄の本営址かという。
三方原は浜松市の北方にある台地で、南北約一二キロ、東西約八キロ、南方で海抜約三〇メートル、北方で約五五メートルの平原である。