信玄刑部に越年する

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 信玄は二十三日に三方原の台地を下り、刑部(おさかべ)(引佐郡細江町)につき、ここで年をこした。二十八日信玄は朝倉義景(よしかげ)の使僧にあい、返事をたくした。その書状の中で「義景が近江の陣から帰国したというのは約束にちがい、信長を滅亡さすこともできない」(『伊能文書』)とせめている。家康がわでは、敗戦で元気を失いめだつほどの動きをしていない。