勝頼高天神城を攻略

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 五月に勝頼は、遠江高天神城を包囲する。この城址は、小笠郡城東村の海技一三〇メートルの鶴翁山上にある(増田又右衛門・同実共編『高天神城戦史』。岩田孝友『遠江史蹟瑣談』)。信長は家康の依頼で援軍をだすため、京都から岐阜に帰る。家康も岡崎城におもむき信長の到着を待った。しかし六月十七日に、小笠原長忠(原田和「高天神小笠原氏に就いて」『遠江郷土研究会誌』第一号)は高天神城で降伏した。長忠は信興と改名するが、渡辺信重も行動をともにしている。はじめ横田尹松(ただまつ)のち岡部長教が高天神城代となる(『高天神城戦史』)。高天神城の失陥は徳川方の大きな損失であった。六月十九日、今切の渡から吉田(豊橋市)にひき返した信長は家康と面会している。