家康は岐阜にゆき、信長に長篠の戦いにおける援軍の礼をのべ、六月二日大井川をこえて駿河に入り、由井・蔵沢を攻めた。しかし勝頼が南下してきたため遠江に退き、二俣城を攻め、のち光明寺城を攻略した。八月家康は、榛原郡諏訪原城を陥落させ、牧野城と改めた。この城は高天神城への通路にあたる。家康は進んで小山城(榛原郡吉田町小山)を包囲した。
武田勝頼は、大軍をもって南下し、九月中旬に大井川まで進んだ。家康は小山城の包囲をとき、嫡子信康は十七歳ながら殿軍となり、全軍牧野城にひきあげた。
牧野城攻略