[愛子信康の死]

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 天正七年(一五七九)は家康にとって、四月に三子長丸(のちの秀忠)が浜松城で誕生した喜びにかえて痛恨きわまりない事件がおこった。それは愛子信康を父の手で自殺させねばならなかったからである。
 信康は家康の嫡子で、母は築山殿関口氏、永禄二年(一五五九)に家康がまだ今川氏に人質となっていたころ駿河府中で生まれ、永禄十年九歳のとき信長の女徳姫(五徳)と結婚した。