信康二俣城に自害

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 九月十五日信康は、父家康から自殺を命ぜられて切腹する。二十一歳。『家忠日記』の九月十五日の条には「未刻より雨降」とあって、まことに印象的である。二俣の清滝寺に葬られた。
 築山殿関口氏は信康の母で、家康の正室である。信康は岡崎城に住み、関口氏は城内の築山にいたので築山殿とよばれた。家康は築山殿を浜松によびよせた。