[高天神城の回復]

40 ~ 40 / 686ページ
 天正七年(一五七九)七月一日家康は、出羽米沢(米沢市)の伊達輝宗(だててるむね)に対し、鷹を捕えるため鷹師を派遣したことをのべ、道中のことをたのみ、織田信長に用事があれば取りつぐといっている。政治的なふくみも考えられる。