高天神落城

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 三月二十二日高天神城は、ついに陥落した。武田氏はもはやこれを援助する実力がなくなっていた。岡部長教は降伏のすすめをきかず、討ってでて壮烈な戦死をとげた。信濃水内郡の栗田鶴寿等も戦死している(『乾徳山恵林寺雑本』)。高天神城の落城は、武田氏の滅亡に通ずる挽歌であった(増田又右衛門・同実共編『高天神城戦史』。高天神城跡保存会『高天神合戦をめぐる武将勇士の話』。原田和「原氏及孕石氏略説」『遠江資料集』)。
 家康は二十四日、浜松に帰った。遠江国で勝頼に味方するのは小山城だけであったが、天正十年二月にはその守備兵も逃げてしまう。