目次
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第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
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第八節 羽柴秀吉の覇権
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小牧・長久手の戦
[小牧・長久手の戦]
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家康が甲信二国を分国にしようと努力している間に、京都の政情はあわただしく動いた。【賤ケ嶽の戦】秀吉は、天正十年六月光秀を破ってから清須会議の指導権をにぎり、翌十一年四月織田氏の宿将柴田勝家を賤ケ嶽に破り、六月には大坂城に入り、名実ともに信長亡きのちの政権担当者の位置を確立している。