目次
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第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
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第八節 羽柴秀吉の覇権
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小牧・長久手の戦
小牧長久手の戦
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家康は信雄の依頼をうけて三月七日浜松を出発し、この結果起きたのが小牧・長久手の戦いであった。しかし戦いは秀吉の別動軍が三河へ侵入しようとしたのを家康がむかえ討った一戦があったばかりで、ほとんど武力戦らしいものもなく、十月十六日秀吉は大坂に、十七日家康は岡崎にひきあげた。【和議の成立】そして信雄の斡旋によって十一月十一日和議が成立し、秀吉は家康の子を養子とすることとなり、十二月十二日に十一歳になる家康の二子於義丸(おぎまる)(義伊)は大坂に出発した。