真田昌幸の離反

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 あくれば天正十三年(一五八五)である。信濃上田(上田市)の真田昌幸(さなだまさゆき)は武田氏がほろんだのち、家康の部下となり、長子信之に上野沼田城(沼田市)を守らせていたが、北条氏は、天正十年の和議に反しているといい家康に抗議した。家康は昌幸に沼田城を北条氏にかえすよう命じたが、これをきかず、十三年七月上杉景勝に援助をもとめた。【上田城】八月に家康は大久保忠世らに上田城を攻撃させたが、景勝の背後には秀吉があり、徳川軍は敗戦をつづけ閏八月二十四日家康は全軍を撤収しなければならなかった。