秀吉と講和

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 秀吉は、小牧・長久手戦ののち家康に圧力をかける機会をねらっていたが、石川数正の事件を契機として、十一月二十八日使を送り、家康の入京をもとめさせたが、家康は動かない。そして、翌十四年二月上旬、信雄の斡旋によって講和が成立した。家康としては時機を得た賢明な決断であった。
 こえて三月九日、家康は北条氏政と会見し、その二十七日には安房館山(舘山市)の里見義康に誓書をおくり、東国地方での地位をかためるのに努力する。