秀吉は、家康との講和の成立を機会に、また家康を上洛させようとした。しかし家康は承知しない。そこで姻戚となり、その縁で上京させようとした。
家康は、天正七年(一五七九)信長に強制されて、築山殿関口氏を殺させた。それから正室がいない。【旭姫と結婚】秀吉は、異父妹の旭姫をむかえるよう申しいれた。家康四十五、姫四十四(天正十八年正月京都で死去)。家康はこれを承知し五月十四日旭姫を浜松にむかえて婚儀をあげた。秀吉は引手物(ひきでもの)(土産)として、黄金を馬五疋(五駄)分家康に贈呈している(『安藤重寿所蔵文書』)。黄金一駄とは金四十貫文にあたり、黄金一両は約四匁だから総計黄金五百両、十両大判で五千枚という莫大な数量である。