家康上京する

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 当時、秀吉は九州征伐を計画していたが、家康を招いて家康が秀吉の前に威伏する姿を、詰大名にみせる必要があった。家康は駿府に築城をし、九月十一日にはここに移っている(『家忠日記』)。すでに秀吉に臣従するとの覚悟をきめた証拠である。【大政所】しかし秀吉は、十月に天皇に願い家康を権中納言にするとともに、旭姫を見舞うということで、当年七十四歳の生母大政所(おおまんどころ)を浜松にゆかせた。
 家康は、十月十八日大政所を岡崎にむかえ、二十日酒井忠次らを従えて上京した。二十六日大坂の宿舎で秀吉の来訪をうけている。二十七日家康は、大坂城の対面の席で関白秀吉に対し挨拶をした。