家康秀吉に協力する

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 家康は、十一月十一日岡崎に帰ると(『家忠日記』)、十二日井伊直政に大政所を護衛して大坂までとどけさせ、十八日京都に安着したことを知ったのち二十三日浜松へ帰った。
 家康は秀吉に対し臣下の礼をとると、そののちは中央政界において、秀吉の協力者として行動した。しかしそのために三河・遠江・駿河・甲斐と信濃の一部の統治をおこたる家康ではなかった。家康はよく秀吉を知り、秀吉もよく家康を知っていた。家康としては残された道を進むのみである。
 秀吉は十月二十一日の上杉景勝の来信を十一月四日受領、即日返信した。それは重大な内容をふくんでいる(『上杉家文書』)。それは、